2022年卒業生へ②

16.島子 志津子(12

コロナ禍でOB会も開催されず、なかなか会うことができない中、12代目は、毎月リモート飲み会をしています。森さん、佐藤さん、河口さん、斉藤さん、夫と私と11代目の久男さんです。月に一度、土曜日の5時半から2.3時間。何と今月で23回開催。この会で、森さんは禁煙に成功し、佐藤さんと久男さんは休肝日を週2回設けることができるようになりました。斉藤さんは一生分のお酒を飲んでしまい、最近はノンアルや微アルで参加しています。河口さんは家庭菜園で育てた野菜をおつまみにしたり、私は料理上手を自慢するため、飲み会の日は特に料理をがんばっています。それぞれ、静岡、大分、大阪、神奈川、埼玉、福岡と住んでる所も仕事も違い、コロナ、ワクチン、仕事、年金、健康、ゴルフ等、話題には事欠かず、楽しくやっています。65.66歳の私達。この会がみんな揃って、ずっとずっと続けられるよう、私はみんなに毎回ハッパをかけています。(禁煙も休肝日も私のお陰です😊)コロナが収束したら、OB会にもみんなで行きたいねと話しています。

 全国のOBの皆さん、現役の皆さん、「手洗い、マスク、換気、しっかり睡眠」(私の勤めている小学校の生活の目当てです)で頑張りましょう 



17. 清水 豪(13)

 

4回生の皆さん、濃い学生生活を堪能できましたか? 

縁あって応援団と出合い、この団族になってくれたこと 嬉しく思います。

御苦労も多かったと思いますが、それを乗り越えた心意気で、これからも御活躍を祈念します。 



18.吉岡秀記(14)
大学生として貴重な時間をコロナとの闘いに過ごされた皆さん。その苦しみは、よその大学ですが同じ4年生を持つ親としてよくわかります。そういう時期を過ごされたから、社会人、大学院生として活躍されるでしょう。私の方は自営業ですので、マスク以外はのんびりした生活を送っています。
 



19.平原一幸(20)

卒業する3人へ ~今風(いまふう)を生きろ!~

 2018年9月。演武伝達練習をするということで、大分の地から久々に熊本を訪れた。9月とはいえ、まだ暑い。特に、この武夫原は。上半身裸になって声を出し、汗をかいた当時を思い出す。

 「ランニング!」「え?」「えっさ~、ほいさ~」「まじかぁ」。OBの私自身が、「キソ練」から始めたこの練習に違和感を感じたのだから、現役団員はもっと感じているに違いない。やっと入部した若者たちが「え~。なに~?これ。」と思い「やっぱりやめます...。」とならないだろうか、そんなことを考えた。

 でも、それは違った。私の思い込みであった。発声練習。押忍。しこ立ち、お手々ふりふり。うちの学校の生徒を思い浮かべても「だっせぇ」、そんな声が聞こえてきそうな練習メニューではあるが、彼らは、そんな感情をこれっぽっちも見せない。大きな声を出し、腰を落とし、手を動かしている。

 今風なスマートな生き方、ダサいことに価値を見いださない生き方、そんな生き方を求める若者が増えている中、応援団に惹きつけられたこの若者たちは、どうも違うようだ。そのとき練習した「田原坂」。決して高校野球でみるあの華やかな応援とは違い、昭和の時代と言われても致し方ない演武の一つだ。でも、その練習にも、本当にひたむきに打ち込んでいる。そんな姿を見ながら、「この若者たちなら、剛毅朴訥の精神をしっかりと引き継ぐ真の熊大応援団員になるかもしれない」その時、そう確信した。

 あれから、4年。見事に、今日まで熊大応援団を維持発展させてくれた。演武会でみる雄姿は、どんどん、力強く、かっこよく、そして今風(彼らなりの)になっていった。見ている若者をうならせる演武によくぞここまで仕上げてくれた。心からそう思う。途中、コロナ禍で、思うように活動ができなかっただろうが、SNSを使って存在を発信し続けたことも、今風であった。

 市原団員、蓮池団員、松元団員、本当にありがとう。そして卒業おめでとう。

 今を生きる時、今を無視して前には進めない。過去の栄光にすがっても、限界がある。だから、これからも君たちらしく今風に生きてほしい。君たちの今風は、決して薄っぺらいものでなく、分厚くて重い。それは私たちが保証する。

高野団員。後は頼んだ。

「一人では何もできない。しかし、一人が始めなければ、何もできない。」

(大分県玖珠町出身の偉人 久留島武彦のことばより) 



20.井手口遥(旧姓 本松)(33

【近況報告】

熊本市在住、夫と子ども3人の5人暮らしです。仕事は早いもので14年目となり、忙しくさせてもらっています。コロナの前と比べると、職場の働き方が少し変わったくらいでしょうか。子ども達が産まれてからは、好きな時好きな場所に出かけたり、好きな人たちに会う事もなかなかできない事が日常でした。そんな生活に慣れてしまっていた為か、コロナ禍の不自由な生活は以外とすんなり受け入れられている気がします。「大学の頃は毎日好き勝手やっていたから今その調整がされているのかな」なんて思うようにしています。世の中共存しなくてはならない厄介な相手がたくさんいる事を改めて実感する毎日です。皆さまがどうか健康でありますように。

【卒業生へ】

 

近況報告では私の視点で書きましたが、コロナ禍を大変な思いで活動された皆さんを思うと本当に頭が下がります。私は大学時代の自由な時間があったので、今の不自由な生活も大切な自分の一部だと思えます。もし今の頃に自分が大学生だったら?そう考えると悔しい、悲しい、様々な思いが込み上げます。けれど皆さんが毎日を一生懸命に過ごした事に変わりはなく、私達ができなかった新しい事へのチャレンジも多かったのではないでしょうか。大変な状況下でも辞めず諦めず頑張ってくれた皆さん、見習う事ばかりです。ご卒業おめでとうございます!

 



21.戸上勝喜(9)

(近況報告)

25日で68才に到達。会社生活現役継続中(フルタイム ,今年まで?)

   通勤時間片道1時間30(博多・小倉新幹線、JR在来線、車)

・健康寿命72才まで5年。人生100年、これからは70代がカギ。 

 「70歳が老化の分かれ道」(和田秀樹著)書籍を購入、実践予定。

・母校の大分舞鶴高校、春の甲子園21世紀枠で初出場。

 現役高野さんも同窓生。

 (4回生の皆さんへ) 

4回生の皆さん、コロナ禍、お疲れ様でした。

 最後にお会いしたのは、20215日、九大での九州応援推進

 ネットワーク演武会…熊大応援団らしく剛毅かつ溌剌とした演武。

 応援団の歴史を感じました。  これからの活躍を大いに期待。 

 



22.村上俊樹(24)

 4回生の皆様へ ご卒業おめでとうございます。そして4年間の応援団活動をありがとうございました。皆さんと武夫原での練習等には参加できませんでしたが、皆さんが2回生のころ、中村団長率いる熊大応援団と熊本学園大学との合同演武会を見に行かせていただき、また3回生の時の合同演武会をyoutubeで拝見させていただきました。皆さんの迫力ある演武に感動し、本当に勇気と元気をいただきました。そして30年前、ただひたすら声出して、走って、四股立ちして、お手々ふりふりして、毎日毎日、自分と闘っていたあの頃を思い出させてもらいました。

 私は現役のころからずーっと、応援団のエネルギーの源は、仲間を知ることだと思っています。練習や試合で頑張っている仲間を”励ましたい、応援したい”という純粋な気持ちが、まさにエネルギー源なのです。だから、応援団員にとっていっぱいの仲間と知り合うことが、なにより大事なことだと思います。

 卒業後の皆さんの進路は様々と思いますが、これから巡り合う新たな仲間との出会いを楽しみに、そして大事にしてほしいです。最後に、皆さんのご健勝とご発展を心より祈念して、エールを送ります。

  「フレー、フレー、4回生!!」  今度はOB会で会いましょう。押忍!

 

追伸:少し近況報告

 202110月から新しく設立した子会社「フィッシュファームみらい合同会社」に出向し、豊前市でサーモンの陸上養殖事業に取り組んでいます。ようやく施設の建設がはじまり、202210月からサーモンの飼育を開始し、20231月の初出荷に向け鋭意取り組んでいます。水産業という未経験の分野ですが、地域に根差した事業が継続できるよう頑張っていきます。

 

 



23. 林和徳(6)

二年前までは、朝起きてから散歩、それから朝食を食べ、休息してからマシンジムに出かけ、適度に運動をし昼前に帰宅する。簡単な昼食を済ませた後は少しだけ寝て、夕飯の買い出しをする。帰宅したら、読書やテレビを見て過ごし、それから午後の散歩をする。散歩から帰ったら、妻と昔語りをしながらお酒を飲み、食事をし食後の後片付けをし終えたら風呂に入って、二十二時頃布団に入って寝るという平穏な日々を送っていた。

そして時々OB会や同窓会等に参加し外部との接触もしていた でも、コロナが流行ってからはマシンジム等外部との接触が全くなくなり夫婦二人の世界に籠る日々に変わり、折角絞った体型は元に戻ってしまった。

知人たちとの酒を飲む約束も度々のまん防や緊急事態の発令で流れ残念なことしかり…

そんな中、うれしい出来事としては 、二人目の孫が誕生したことだ。

「愁いや不満の多い世の中だが悠々といけばよい。明日心配が起きたら明日心配すればよい。明日は明日の風が吹く。流れに身をまかせ、ばたつくのはよして生きていこう」といった詩人もいたな!

 今冬を最後に二年前の状況に戻ることを心から願う!

【贈る言葉】

楽しいこと・悲しいこと・苦労したことのあったこれまでの学園生活を

振り返って、今、卒業出来る喜びを感じていることと思います

学園生活では多くの出会いがあり、様々な価値観の人々と接していく

ことで、自分の世界がさらに広がったことでしょう

多くの人々と接していく中、知識だけでなく人と人の関わりの大切さを実感し、人間性を高めていくことが出来たと思います

大学を卒業し、それぞれの新たな目標に向けて歩み出すわけですが

これからも困難なことや壁にぶつかることは避けられないだろうと

思います しかし、負けることなく自らの人生を力強く前に歩んで

いって下さい。

最後に、卒業生の皆さんの今後の健康と活躍を心から祈念しつつ

「皆さんのこれからの人生に幸あれ」

初代和田先輩の言葉

    一生懸命生きろ 力いっぱい生きろ

    己を信じて精いっぱい生きてきたことに

    喜びと誇りを感じる日がきっとくる

 

    必ずくる その日まで 黙って歩け



24.古賀正博(3)

初代の和田先代副島先代、2代の原先代、3代の真鍋君が亡くなり段々と寂しくなっています。

元気に過ごせるように、1日10000歩を目標に生活しています。

ところが、つい最近のことですが上通りを歩いていたところ、鶴屋のところの交差点の信号が点滅しだしたので、走り出したところ、前を走っていた小学生の5~6年生の女の子を追い越せず50M競走に負けました。これが今の現状です。でも10000歩はやめません。意地ですよね。

皆さんも体にいいことをやってくださいね!

お陰で頭以外は健康で過ごしています。 



 25.遠山栄二(6)

 [4回生への贈る言葉]

 卒業おめでとうございます。

大変な時期への巡り合わせで、充分な活動が出来ず、残念な思いもあるかもしれませんが、思い出に残ったこともあるでしょう。

 今後も応援団をよろしくお願いします。

[近況報告]

 70歳も過ぎましたが、コロナ禍の中、茨城県東海村から東京への遠距離通勤を続けています。ただ、今後のことも考えて、今春には千葉県柏市の高齢者向けマンションに移ります。秋葉原から30分、近くに運動公園もあり、ウォーキング・ジョギング、花見も楽しめます。犬童君の家もすぐ近くです。

 皆さんと会ったのは一昨年の東京地区OB会が最後でした。あと1~2年は仕事を続けるつもりです。皆さんとまた、お会いできる日が来るのを楽しみにしています。



26.村瀬弘幸(10)

テーマ_卒業をする4回生への送る言葉、近況報告など: 卒業されます4回生のみなさまとは、2019年11月のOB会でお会いしています。海外に留学予定の話題もあっておりましたが、長引くコロナ禍により学生生活も大きな影響を受けられたと思います。辛く苦しい時期のご経験が今後の糧となることを確信しています。健康に留意して頑張って下さい。また、今後、OB会で再会できることを楽しみにしています。

卒業後は就職など新たな人生を歩まれると思いますが、今後のご活躍とご多幸を祈念いたします。

私は、ボランティア活動、民生委員・児童委員、ふれあい福祉相談員など、地元=諫早市で地域福祉・環境活動に取り組んでいます。微力ですが、よりよい地域づくりに貢献したいとの想いで、今後も活動を継続してまいります。 



 27.宇治野和範(15

2年前に定年退職し、今は定員100名の施設で勤務している。

 現役時代はモノレールやJR通勤だったが、今はバス。乗り換えて1時間の通勤時間、家を出るのは753分。ダイヤ改正で勤務に間に合うバスも1本に減少し、乗り遅れればタクシーで1,600円かかっている。この通勤も2年経ってようやく慣れてきた。

 仕事も2年でようやく慣れてきたが、いかんせん、体調がよくない。

 昨春、左足が不自由になり、MRI検査で判明したのが「頚椎症性脊髄症」という病気で、悪化すれば手術とのこと。歩くときは転倒注意で、重いものや脚立・梯子は止めるよう言われ、山登りはもってのほか!らしい。加齢によるものなので仕方なく、この病とうまく付き合っていくほかないのか。そんな日々を送っています。

 この2年で熊本には数回は出かけており、熊本城、武夫原、立田山を訪れた。今春も訪れる予定。天守閣からの眺めが懐かしかった。また行こう!

 卒業生諸君

  この厳しい時代に、応援団を継承してくれてありがとう。

  君たちには「感謝」の言葉しかない。本当にありがとう。

  これからの君たちに「幸あれ」と願うばかりです。 



28.南 茂司(3)

みなさんお元気でお過ごしのことと思います。

 新型コロナ感染症の2年にわたる影響で、経済も個人生活も疲弊してきました。新型コロナ感染症を地球の立場から考えてみると、地球の人間に対する警鐘ではないのかな。(後のシナリオは皆さんの想像にお任せします。)もっと地球にやさしい生活を考えて生きていきたいと思います。

 新型コロナが高い山と考えると、深い谷はウクライナとロシアの問題でしょう。東欧の問題と考えると遠い地域の印象がありますが、ロシアは日本の隣国です。

いつ隣国が・・・・南の方は大丈夫かな・・・・ミ○○ル実験強行のあの国は・・・・

 そういう大変な時期に4回生の皆さんには応援団の運営を任され、今できる範囲での目的は達せられたと思います。皆さんに心から敬意を表すとともに、感謝申し上げます。今後はその熱意、努力、頑張りを自分のため、家族のため、社会のため、国のため、世界のために役立ててほしいと思います。

 順番に先輩たちはいなくなります。時期が来たら時間の許す範囲で、色々な立場の後輩たちの助けになってほしいと思います。残された時間がない私がなすべきことは、次の世代の人たちに地域社会のバトンを渡すために、少しずつ地域での役職を減らし、徐々に忘れ去られるのがベストかな、と思っています。

 私は今年で75歳になります。かけがえのない友人(3代の真部伸穂君)を亡くしました。何か陽気になれない自分がいます。3人目の孫(1歳)が生まれ元気をもらっているところ

 



29.前島 光幸(7)

70を過ぎましたが、まだ、勤務しています。今年の930日までで雇用終了の予定です。今は、佐世保で単身生活していますが、今後は、自宅(大船=鎌倉)に戻るつもりです。

応援団を卒業して約50年になりますが、いちおう、大過なく元気で過ごしています。少しオーバーかも知れませんが、今でも、”健康な体と心”は、応援団時代に培われたものだと思い、感謝しております。

人生、色々とは思いますが、皆さんの今後のご健闘とご活躍をお祈りします。 



30.阿南一喜(9)

 (近況報告)

 退職して、8年。家庭菜園と桜草栽培にのんびりと勤しんできました。

今は、連れ合いと二人きりの生活も6年目になりました。孫6人の世話がたまの息抜きになっています。9代で熊本にいるのは私を含めて4人、他県3人ですが、年賀状のやり取りくらいでご無沙汰しています。

4回生へ)

 

 市原・蓮池・松本の4回生とは、演舞伝達練習で一緒になったことが今でも忘れません。応援団と長い間関りがない時に、中野先輩から演舞伝達の手伝いをとの連絡をいただき参加しましたが、若い団員と練習するのは楽しかったです。3人それぞれの個性が輝いていました。卒業引退しても、応援団でいたことが心の支えになることを願い信じています。